
―SCDの受講動機を教えてください
一つは「コミュニケーションデザイン」というテーマへの共感です。
事業会社に勤めていた時に、うまくいっている組織とそうじゃない組織は何が違うんだろう?という問いをもっていました。
コミュニケーションデザインに鍵があるんじゃないかと思って、2012年に立教大学の大学院の社会デザイン研究科修士課程で企業の事例研究を通じてコミュニケーションデザインを学びました。修了後、日々の仕事や生活を通じて、もっといろんなセクターや働き方が混ざる中でのコミュニケーションデザインを学びたいなと思っていました。
二つ目としてアウェイなところで学びたかったんです。東京ではない場所で、出会ったことのない多様な人たちと一緒に勉強したいと思っていました。
三つ目は進学の手がかり探しです。修士課程を修了してしばらく普通に働いて、もう一度大学院に行きたいなという気持ちがあったんですが、どこが自分にフィットしてるのかよくわからずしばらく迷走していて。それだったら一度短期の講座を受けてみることで体験的に進学の手がかりが見つかるんじゃないかっていうふうに思って。
以上の3つで受講を決めました。
―SCD講座を通して何が学びとして残りましたか?
一番全体を通じて印象に残ったこととしては・・・。
【良い教え】について「魚そのものを与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という格言ありますよね。SCDの場合、魚の釣り方さえ教えてくれなくて(笑)。そもそも「魚を釣る」ってことでいいんだっけ?というところから考えさせられました。
SCDはお客様気分ゼロのところにいきなり放り出される。その環境から学んだことが一番大きくて、コミュニケーションデザインっていうよりもコミュニケーションのクリエイションだったなっていう感じがします。
課題が既にあって、それを解決するっていう形の学びではなくて、本当に何の関係性もないところに、コミュニケーション自体を生み出すということに必要なことを学べたのが良かったなと。
SCDにはコミュニケーションデザインの理論の話をしてくださる先生もいらっしゃいますが、どちらかというと理論主体の講座ではない。先生方も実践から勝ち取っていたり学び取っていたりで。身体性が高い講座だと思うので、対面にこだわって開催されているのもすごくいいなと思いました。
あと、こういう講座を受ける際に自分で下駄を脱いでその場に居るつもりでも、いつの間にか下駄を履いてしまっていることがあると思うんです、社会的な何かの。年齢にもよるかもしれないんですが。その下駄を脱ぐのは難しい。
年長者になると周りも脱がせてくれないし。それをSCDは「これは下駄を脱がないと始まらないんだな」って思わせるというか、そこまでさせる力を持ってる感じがします。

―SCDでの学びをお仕事やライフワークの中でどのように活かしてますか?
仕事でいくと、修了後にクライアントから依頼された研修のプログラム設計でとても役に立ちました。
研修テーマが「より自分ごととして仕事に取り組んでもらうためにはどうしたらいいか?」ということだったんです。それだったらSCD方式がいいんじゃないかってことで、参加者の皆さんに「ワークグループをどう作るか?」「途中でワークについて行けない人が出たときにどうするか?」、そこから一緒に考えてもらえるような流れをつくりました。結果、皆さんに集中してもらえて、しかもやらされた感がない参加のしかたになった。今までの自分よりも新たにデザインできることが増えたと感じています。
学びはライフにも活きています。今、アートコミュニティの市民活動に参加しているんですが、多様な人たちが集まって正解がないテーマで意見を交わし合う際に、不穏な空気になる時があるんです。その時に「場に一石を投じて、できた穴をすぐさま縫い合わせるような働きかけ」が重要だなと。例えばお互いに確かめずに想像で疑心暗鬼に陥っている人たちがいたら、できるだけ波風立たないように接するのではなくて言いにくいけれど「今の状況を良くないと感じている」とはっきり伝えた上で、その後即座にそれぞれの立場ならではの“やるせなさ”みたいなところにも「そりゃそう思うよね」と同意の気持ちも伝える。言葉という一石が空けた穴を縫い合わせてはいるけれど、投じる前とは状況が変わる。すると明らかにそれぞれが考えてくれるんですよね。
SCDでのグループワークを通じて、そういう一石を投じる勇気をもらったなと思っています。