ダイバーシティーマネジメントはなぜ「合理的」なのか――尾崎俊哉『ダイバーシティ・マネジメント入門』②

コラム240812アイキャッチ画像です。タイトルを含みます。 Archive

尾崎俊哉『ダイバーシティ・マネジメント入門――経営戦略としての多様性』(2017、ナカニシヤ出版)→出版社紹介ページ

第1回はこちら

1 5-8章の内容

それでは早速内容を要約します。今回読んだのは以下の章です

 5章「『同一財』をめぐるダイバーシティ・マネジメントと企業業績」
 6章「統計的差別」
 7章「『多数財』をめぐるダイバーシティ・マネジメントと企業業績」
 8章「組織能力――まとめに代えて」

5-8章では、一貫して問題となっているダイバーシティ・マネジメントが行われている前提をより詳細に掘り下げています。ダイバーシティ・マネジメントと一口に言っても、それは具体的に何が行われることなのでしょうか?企業は何を目指して運営されるべきなのでしょうか?

本書後半部を読み解くにあたって重要な概念に「同一財」と「多数財」があります。これらは経済学の用語ですが、少なくとも本書の射程において使用されている意味は比較的シンプルなもので、「人材」の特徴を説明するために用いられるものです。「同一財」とは同じ能力を持った人材を、「多数財」は異なる能力を持った人材を指します。より正確に言うのであれば、同一財とは同じ能力を持っているものとみなせる(人)財である、と言えます。同一財はあるタスクに対して同程度の成果をあげるものと想定されるため、その意味で、同一財は相互に差はなく、交換可能であると考えます。

なぜこのような弁別が重要なのでしょうか?本書ではジェンダーの区分を一つの事例として、これを説明しています(とりいそぎ、説明の簡便のために男女二元論を用いますが、現実はより複雑に構成されている、ということは念頭に置いておきます)。まず、男女を「同一財」と想定した場合。すなわち、もし男性を登用する場合と、女性を登用する場合を比べて、そこに生産性の差がないと認められる場合、企業はそれぞれの財を差別なく扱うことが合理的な判断となります。このような前提があるにもかかわらず一方(例えば男性)を優遇するような選好=「差別的選好」を行っている場合、企業は同様の女性から得られたはずの利益をあえて手放す非合理な判断をしていることになります。言い換えるならば、企業は男性を積極的に登用するために余計なコスト=「プレミアム」を支払うことになる。そして、プレミアムを払う企業は、払わない企業との競争において不利になります。このような場合、ダイバーシティ・マネジメントは問題となりません。差別なき同一財としての取り扱い、すなわち「同一労働同一賃金」こそが経済合理的なふるまいとなるのです。

では、もし男女が「多数財」であった場合はどうでしょうか。男女の生産性やその能力が発揮される領域に差があると見なす場合、両者によって行われる労働は同一でないとみなされるため、前述の「同一労働同一賃金」の議論は維持できません。実際、差別的選好を行う場合にはこのような前提が、統計的な根拠を活用されながら展開される場合があり、これを「統計的差別」と言います。例えば日本においては女性の就業率が20代後半〜30代前半にかけて結婚・出産などの理由から男性よりも下がる現象、いわゆる「M字カーブ」が知られています。企業からすれば、同じ教育コストなどを払っても男女で定着率に差が出るのであれば、はなから統計的に定着する可能性が高い男性を登用することに積極的になる。このような経済合理的な判断が、結果的に多様でない現状を作り上げていると考えられます。

著者は実際には企業が男女の限界生産力1を正確に把握できるかには疑問が残る点、このような人材登用を行うこと自体が統計的差異を生み出している点などを指摘し、統計的差別を前提とした選好に疑問を呈します。しかし、現実には確かにこのような統計的な差異が現存する。そのため、多くの人材を仮想的な同一財として捉えることを正当化することが難しい現状があります。そのため、著者は「多数財としての労働力をうまく采配すること」(P132)こそが重要であると指摘します。そのために必要な考え方こそがダイバーシティ・マネジメントである、というわけです。

多数財を活用するためのダイバーシティ・マネジメントは二種類に大別できます。一つは異なる能力を持つ人材を適切に配置することで限界生産力を最大化することです。これは、すでに持っている資源をいかにうまく使うかという問題であるため、「静的成長」をめぐるダイバーシティ・マネジメントと呼ばれます。静的成長は資源効率化という意味では重要である一方、ある限界以上に効率化することはできないため、企業はさらなる成長を目指すために①新たな資源を投入する、もしくは②技術進歩(イノベーション)を行い、最大効率において達成できるアウトプットの基準値自体を高める必要があります。これは「動的成長」と呼ばれます。ダイバーシティ・マネジメントを通じた静的成長と動的成長を実現すること。これこそがグローバル化における競争の中で企業が目標とすべき像であるといえます。

2 考えたこと

本書はダイバーシティ・マネジメントとはなにか、という素朴な疑問を経営学の知見を用いて解きほぐす、優れた入門書であると思います。実際、読後は経営学の用語に対する親しみを得るとともに、ダイバーシティ・マネジメントが必要な場合と、それによって達成できることを理論的な水準で理解することができました。一方で、本書は入門的かつ理論的な水準の議論を徹底しているため、説明に必要な事例以外は捨象されており、読者はこの一般化された知見を自身の身の回りの具体的事象に当てはめて活用する必要があるでしょう。

とりいそぎ、現時点で私自身がここで読んだ議論から拡げて考えたいポイントが①労働市場の二極化、および②経済的価値の外側です。

①「二極化」といってもいくつかの論点がありますが、念頭に置いているのは以下のようなものです。一つは、近年の非正規労働の増加により、労働者が正規・非正規に二極化しており、待遇や安定性の面において格差が是正されていない、といった議論です(「労働政策研究報告書No.230:「二極化」以後の非正規雇用・労働」)。非正規労働は、同一労働を行っている場合においても待遇に差が設けられている場合があります。本書における言葉遣いを援用すれば、同一財として扱われるべき労働が不当に差別的処遇を受けている状況と言い換えることができます。また、非正規率は特定の属性に偏って分布しているため、特に男女間の経済格差を温存する一因となっています。

もう一つは労働の内容の二極化です(「労働市場の二極化とは? 産業構造の変化を見すえて今後の人事・採用に役立てよう」)。専門知識や技能を必要とする「高スキル」業務と必要としない「低スキル」の二極に労働が集中し、「中スキル」労働が減少していることが指摘されています。本書を読みながら、これはそれぞれ「多数財」としての労働と「同一財」としての労働の二極に分かれているとも言えるのではないか、と考えました。ダイバーシティ・マネジメントは主に「多数財」としての労働者にとっての問題ですが、その裏では多くの人材が代替可能な存在として消費される可能性を示唆しています。

両論点はマクロな経営の視点からは見えづらい、人材の側の問題に関するものです。ダイバーシティ・マネジメントがその射程に含まれる人材のウェルビーイングにとって重要なのは間違いない。しかし、もしそれがそこからこぼれ落ちる人材=「多数財」となれなかった人材に対する視点を欠いた状態で行われるのであれば、不十分なものとなってしまう可能性があります。ダイバーシティ・マネジメントが生まれる背景にあった様々なマイノリティによる権利運動の理念を思い出すに、そこで言及されている「ダイバーシティ」の限界に目を向けることは不可欠であると思います。

②さらにその先の視点として、経済的価値の外に目を向けることも必要でしょう。これは前回のコラムでも話題に挙げたものですが、ダイバーシティ・マネジメントは「人材」に関する議論であり、それ以上でも以下でもありません。そのため、「人材」たり得ない(とみなされる)存在はそもそも想定されていません。すなわち、社会におけるいかなる経済的利益をもたらすとも考えられない人々の位置は、ダイバーシティ・マネジメントとは別の言葉を使って考えていく必要があります。

これは、社会において経済的価値や経済合理性の外の空間を確保する必要、と言い換えることができるでしょう。本コンソーシアムとも関わりの深い演劇、もとい芸術・文化といった領域は、経済的価値に還元されない「価値」を涵養してきた歴史があります。例えば、そのような領域が企業とは異なる仕方で価値を提示し続け、「人材」ではない個人について、あるいは個人の「人材」以外の側面について考え続けることは、社会にとって必要なことであろうということが、本書の議論から逆説的に示されているように思います。

(文責:柴田惇朗)

  1. 「その生産物を生産するにあたって,その生産要素が(限界的に)どの程度有効であるかを表す指標」(コトバンク「限界生産力」)。ここでは男性および女性の労働という資源の投入に対して得られる生産性を指す。 ↩︎