1 企画の紹介
DE&Iって、聞いたことありますか?
DE&Iは、多様な人材による組織などのマネジメントを統括する際の指針となる言葉です。ダイバーシティ(多様性)・エクイティ(公平性)・インクルージョン(包摂)の3つの要素は、このようなマネジメントにおいて欠かすことのできないものだと言えるでしょう。
しかし、これだけでは困ってしまいます。どのような経緯でこのような言葉が使われるようになったのか、具体的にどうすればこれらの理念が実現できるのか、疑問はどんどん湧いてきます。
そこで、本コラムではDE&I初心者のチームがDE&Iに関する重要文献を読み、意見を交わすことで、DE&Iに関する理解を深め、実践に向けた一歩を踏み出すための準備をしていきます。DE&Iのビギナーの方も、すでに実務に携わっている方も、このコラムを読んでDE&Iに関して少しでも学びや気づきがあればいいなと思います。
2 本と著者について
では早速、今回から2回に分けて扱う一冊を紹介します。
尾崎俊哉『ダイバーシティ・マネジメント入門――経営戦略としての多様性』(2017、ナカニシヤ出版)
→出版社紹介ページ
本書ではDE&Iの根幹たる「多様性」を企業の経営戦略に組み込むことの意義を、歴史的経緯に立ち返って経済学・経営学の立場から論じています。
前半(1−4章)ではダイバーシティ・マネジメントの歴史とダイバーシティ・マネジメントの「3つの側面」に関する紹介がなされ、後半(5−8章)では「3つの側面」それぞれに関して経営学の知見を用いて分析し、ダイバーシティ・マネジメントと企業業績の関係を論じています。
著者は米ジョージ・ワシントン大学政治学研究科の博士後期課程を修了している国際関係論と経営学の専門家で、2024年3月現在では立教大学経営学部・国際経営学科の教授を務めています。これまでに英語と日本語でマネジメントに関する様々な論文を発表していますが、この『ダイバーシティ・マネジメント入門』は著者初の単著として発刊されたものです。
目次は以下のとおりです。
- ダイバーシティ・マネジメント――経営者の関心の高まり
- 歴史と現状、ダイバーシティ・マネジメントのルーツ(1)――差別、異文化マネジメント
- 歴史と現状、ダイバーシティ・マネジメントのルーツ(2)――競争力の再構築
- 人材の登用と企業の業績
- 「同一財」をめぐるダイバーシティ・マネジメントと企業業績
- 統計的差別
- 「多数財」をめぐるダイバーシティ・マネジメントと企業業績
- 組織能力――まとめにかえて
参考文献
あとがき
索引〔人名/事項〕
3 1−4章の内容と考えたこと
それでは早速内容を要約し、考えたことを簡単に述べていきます。
1章では、本書の目的が述べられます。この目的とはズバリ、ダイバーシティ・マネジメントをめぐる思考の整理を行うことです。
ダイバーシティ・マネジメントと一口に言っても、そこにはジェンダー、ナショナリティー、年齢、障害の有無など、様々な切り口での動きがあり、また単に差別をなくすための環境整備から、企業の業績を伸ばすための積極的な策まで、様々なことが含まれています。このような広い概念を歴史も参照しつつ整理し、使えるようにすることがこの本で目指されていることだと言えます。
2章と3章では、ダイバーシティ・マネジメントの発展の歴史が語られます。2つの章はセットとして書かれているので、ここでも一気に扱ってしまいましょう。
まず、ここで示されるのはダイバーシティ・マネジメントの「3つのルーツ」です。
- ①「差別解消・人権尊重」
- ②「国際化・異文化経営」
- ③「競争力の再構築」
2章は①・②に、3章は③について主に扱っています。①はかつて社内で差別的な扱いを受けていたり、はなからフィールドから排除されていた人たちが「同一労働・同一賃金」を求めて抵抗してきたことで進展した歴史です。
翻って②や③は、経営的な目線において、いかに業務を効率化し、利益を最大化するか、という視点から広がった歴史です。②は多文化・多国籍の企業においてどのように社会マネジメントを行うのか、という問題を出発的としています。いわば、すでにある多様性をどのようにマネジメントするか、という問題です。
面白いのは(そしてこの本が最も力を入れて記述しているのが)③の部分です。グローバル化を受けて競争力の再構築が必要になった80年代のアメリカの企業では、ダイバーシティ・マネジメントが実は競争力を伸ばす可能性があることが発見されていきます。例えば、多様な能力をもった人々の協働は新たな価値を生むイノベーションにつながります(この点を実証的に示すのが5章以降です)。
さらに、①や②のルーツを経由した活動も、実は経済合理性と関係があったことがわかっていきます。同一労働・同一賃金は賃金の抑制や生産性向上の実現に繋がりますし、すでにいる人材を適切に配置することは無駄を減らしたり、生産効率の向上に役立つため、いずれも経済合理性から説明ができます。
4章では経営学の理論を使って、ダイバーシティ・マネジメントと企業業績の関係を原理的なレベルで説明しています。これは、次章以降で具体的にどのようなダイバーシティ・マネジメントが業績の向上につながるのかを考察するための準備段階と位置づけられます。
両者の関係は、存外シンプルな構図で説明がつきます。まず、「限られた生産要素をいかにうまく活用し、利益を上げるか」は企業の存続にとって最重要課題であることが示されます。
完全競争的な市場(供給者と需要者が多数おり、自由に競争が行われている市場)を考えてみましょう。生産要素とは主に資本と労働を指しますが、これをうまく活用できていない場合は、完全競争のもとでは単に負けてしまいます。生産要素をうまく活用することで商品にかかる費用を下げたり、またそれに応じて価格を下げたりすることができるので、消費者により好まれる商品を作り上げることを可能にします。
しかし、あるところで生産効率は限界を迎えます。そこで目指されるべきは、完全競争的でない市場の状況を作ることです。すなわち、ビジネスモデルの差別化などを行うことで、競合が着いてこれないような状況を作る。そうすれば、苛烈なコストカット競争などから一時的に離脱することができる。差別化をもたらすのはイノベーションです。そして、そのイノベーションの鍵となるのがダイバーシティである、というわけです。
……と書いたものの、ここで説明されるのはなぜ「限られた経営資源をうまく活用すること」が企業の存続にとって大切なのか、という点であり、イノベーションとダイバーシティの具体的な結びつきに関して5章以降にお預けとなります。
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最後に、ここまでの本の内容について同僚とディスカッションを行った後、この文章を書いている私自身が考えたことを記します。
この本の前半(1−4章)を読み、新鮮に感じたのはその視点です。この本の特徴は徹底して経営学的な観点からダイバーシティを考えている点であるといえます。私は普段、主に社会科学の文献を読んでいます。これらの文献においてインクルージョンが語られるとき、基本的人権という理念をベースに、それをいかにして積極的に保護していくか、という視点が通底しています。これは「3つのルーツ」でいうところの「差別解消・人権尊重」に当たります。
当然、このような視点は重要ですが、このような視点からのみDE&Iを企業において推進することには限界があると思われます。本書の中でも口酸っぱく書かれているように、企業とは営利目的の組織体であるためです。すなわち、企業になぜインクルージョンが「得」なのかを説明できない限り、DE&Iを推進させることはできない。
実際、この本を読む前はDE&Iも基本的にはある種の社会的責任を果たさないといけないという観点から行われているものだと考えていました。もちろん、そういう側面もあります。しかし、ダイバーシティ・マネジメントの歴史が示しているのは、ここまでDE&Iが企業において推進されるようになった背景に経済合理性の追求があった、ということです。
DE&Iを「やらなければならないもの」として理解するのと、「やったほうが得」なものとして理解するのは、その後の活動の推進の仕方や広がりに大きな影響があると思われます。特に後半(5章以降)で得られるであろう、DE&Iのどの部分がイノベーションに繋がり、ひいては経済合理的活動の一助となるのかという知見は、このマインドのシフトを加速させるための格好の材料となるでしょう。
一方、この本の一番の面白さが、翻って新たな問題を示唆しているとも考えられます。いま念頭にあるのは、経済合理性から説明できないような人々の居場所をどう考えるのか、という問題です。
企業が似たような人たちばかりで構成されているよりは、様々なジェンダー、年齢、国籍などの人たちが集まっているほうがイノベーションにつながるでしょう。しかし、単に企業の多様性を高めれば高めるほどイノベーションが増える訳ではないでしょう。多様な人々が集まればその人々の居場所を確保したり、コミュニケーションを行うために相応のコストが掛かるため、多様性が高まればあるところでコストがイノベーションによる利益を上回ってしまうでしょう。
また、イノベーションにはつながらないだろう、つながったとしてもコストが見合わないだろうとして、はなから企業の「多様性」を構成できない人たちが必然的に生まれます。例えば、障害者雇用におけるいわゆる「合理的配慮」は法的に企業の「過重な負担」を免除していますが、裏を返せば存在が「過重な負担」とみなされる場合はその場にはいられなくなってしまうわけです。
企業は営利組織なのだから、そのような選別は当然である、とする向きもあるでしょう。しかし、少なくともDE&Iを謳うからには、理念的なレベルでインクルージョンを考えることもまた必要になります。
企業はイノベーションにつながらないダイバーシティにどう向き合っていくべきか。本書は逆説的にこのような新たな問題を指し示しているともいえます。
後半でこの新たな問いに示唆が得られるか、注目して読んでいきたいと思います。
(文責:柴田惇朗)