DE&Iに関する理解を深め、実践に向けた知見を探るコラムシリーズ。
第3回は、柳淳也による一見「経営学らしからぬ」視点から書かれた一冊を紹介します。
1 本と著者について
今回扱う一冊は……
柳淳也『揺さぶる経営学――LGBTQから問い直す企業の生産性』(2023、中央経済社)
→出版社紹介ページ
本書はタイトルからも分かるように、企業言説(企業がLGBTQに対する支援をどのように行っているかに関する、企業側が出している公式の発表)においてLGBTQがどのように語られてきたかを分析することを通じて、「生産性」を問い直していくものです。本書を特徴づけるのは「揺さぶる経営学」と筆者が呼ぶ、「クリティカル・マネジメント研究(CMS)」の視点です。CMSは1990年代から広まってきた経営学の潮流。主流経営学に内在する家父長制的、植民地主義的な前提を相対化し、批判的(=クリティカル)に検討する思想的な根幹を持つ立場です。
本書は、クリティカルな視点を通じて経営学の論理を紐解くことで、世界が変わって見えることを示します。まず、序章では著者自身の経験・立場性を断片的なオートエスノグラフィーとして示し、Ⅰ章では研究目的と対象選定の理由を、著者自身の立場性とも関連づけながら語ります(詳しくは後述しますが、この姿勢がすでに「クリティカル」なものであると言えます)。Ⅱ章でCMSの系統的レビューを通じてCMSの特徴を詳述したあと、本書の力点たるパートが展開します。Ⅲ・Ⅳ章では「主流の経営学」と「クリティカル・マネジメント研究(CMS)」という2つの視点から企業の言説を読み解くことで、両視点から見た企業の取組が全く異なる見え方をすることが示されます。そして、最終Ⅴ章で両観点を統合し、考察を行っています。
著者は現在京都大学経営管理大学院の特定助教を務めており、LGBTQに関するアウトリーチ(「子ども向け授業や教員研修」)なども並行して行っているそうです。本書は著者初の著作で、博士論文にもとづいて加筆・修正されたいわゆる「博論本」です。
目次は以下のとおりです。
序章 マネジメント研究をクリティカルする
第Ⅰ章 経営研究における生産性と多様性
第Ⅱ章 クリティカル・マネジメント研究(“Critical Management Studies”)の系統的レビュー
第Ⅲ章 企業の多様性の包摂と活用
-日本企業における性的指向・性自認の多様性に関する「対応」・「取り組み」言説の変化-
第Ⅳ章 企業の「利用可能な」多様性の包摂と活用
-日本企業における性的指向・性自認の多様性に関する「対応」・「取り組み」言説の批判的
考察-
第Ⅴ章 マネジメント研究はクリティカルされたか
あとがき
⭐️おもしろポイント3選
はじめに、本書を読んで感じた「おもしろポイント」を紹介します!(詳しくは2章の終わりで)
①企業の姿勢を「クリティカル」に分析する姿勢がスリリング
本書は、企業の公式的な発表文書を分析することで、LGBTQ支援において企業が何を「言っているか」を、批判的(「クリティカル」)に分析するもの。この企業、いいこと言ってそうだけどなんか引っかかるな……という言葉にもならないような気持ちに、筆者は明快な筆致で「不十分」な理由を説明します。一種の謎解きのようにも機能する、この分析はとてもスリリングです。
②「クリティカル」に経営学をすることがいかに難しいかが、体感的に分かる
一方、そのような批判的分析を行う中で見えてくるのは、企業、そして経営学という分野の至上命題は利益の追求である、という、当たり前でありながら重い事実です。もちろん、企業言説の分析によって明らかになるその「不十分さ」にはそれ自体として価値があるのですが、では、どのような包摂的な経営が可能なのかと考え始めると、それが思いの外両立の難しいことであることが浮かび上がってきます。むしろ、それは完成するようなものではなく、おそらく「クリティカル」し続けるという姿勢の問題なのだということが明らかになっていきます。
③自分に返ってくる「クリティカル」な視点に気づく
故に、「クリティカル」な視点は読者自身に帰ってきます。「不十分」な言説は企業のみならず、個人でも見られるような発言のオンパレードです(むしろ、企業のように公式に発信する場を持つことが少ない個人ほど、問題含みの考えを表明しないまま温存している可能性すらあります)。想像力を持とう、という体のいいスタンスはそれ自体として重要ではありますが、そのための前提として、「クリティカル」の必要性を実感し、このような本を通じて「クリティカル」することはこういうことなのだと提示してもらうことは、自分に対する「クリティカル」を続けるためになにより有用であるように思います。
2 本書の内容と感想
次に、本書の議論を概略したうえで、簡単に感想を述べます。そのため、まずは本書の中心的な視点である「クリティカル・マネジメント研究(CMS)」について述べたあと、Ⅲ・Ⅳ章において展開される議論を見ていきます。
CMSの特徴は、以下の3つに集約されます。
まず、①非自然化。これは、これまでの経営学における前提を疑うことです。ポストコロニアリズムやフェミニズムの影響で発展してきたCMSは、多くの属性が経営学において「自然化(普遍化)」されてきたことを指摘します。典型的には「白人、中産階級、異性愛者、健常者の男性」という存在が、経営学のアクターとして暗黙の前提となってきたことを指します(本書:63)。これらの属性を「非自然化」させるための視点を提供することが、CMSの目的の一つというわけです。
②は再帰性です。これは、研究者・分析者自身のあり方を振り返ることです。分析者の、往々にして「安全圏」にある立場性を認識する必要があります。アカデミアでの活動はある意味で特権的に「声」が与えられているような状況であり、仮にマイノリティ的な属性を持っていても(マジョリティ側に立っているのであればなおさら)、自身の立場性が不公正な構造に寄与していないか、目を向ける必要があります。そういった姿勢がCMSでは求められるのです。
最後に③非パフォーマンス志向です。これは、収益性を重視する主流経営学においては自明の姿勢を批判することを指します。「パフォーマンス志向」とは最小のインプットに対して、効率よく最大のアウトプットを追求することを指します。いわゆる「経済合理性」と言い換えることもできるでしょう。この項目は経営学の大きな前提ですが、CMSは「過度な」収益性の追求がされていないかに目を光らせます。大きな分野の前提を切り崩すという意味で、CMSの特に重要な特徴であると言えるでしょう。
一口にCMSと言っても、論者によってこれらの特徴に対する評価や捉え方には差があるため、詳しくは本書を参照してほしいです。着目すべきはこのようなCMSの特徴が主流経営学の志向(自然化、パフォーマンス志向、非再帰性)と「反対」のものとして位置づけられるということです。CMSはまさに主流の経営学に対する問題意識から発生し、カウンターとして発展してきたことがわかります。
次に、Ⅲ・Ⅳ章の議論を見ていきましょう。2つの章では企業言説の分析が行われます。ここでいう「企業言説」とは、「東洋経済CSRデータ」というデータベースから取られたLGBTQに関する企業の公式的な発表文書です。本書内では実際に多くの上場・大手非上場企業の公的な言説が、名指しで分析の俎上にあげられています。
Ⅲ章では、主流の経営学の前提から性的指向・性自認の多様性に関する企業言説を分析しています。2014年から2018年までの5年間の枠内で、918社の企業データの分析が行われました。分析は以下の二つのカテゴリーのデータに対して行われています。
- 「LGBTへの対応」としてどのような「基本方針」が挙げられているか
- 自由記述箇所のテキストでどのような記述が見られるか
約半数の企業が「ダイバーシティ・トレーニング」を実施しているなど、2014年以降の5年間で多くの施策が行われるようになったとのことで、その点は対応に改善が見られると言えそうです。
次に、Ⅳ章を見ていきましょう。ここでは、CMSの視点から性的指向・性自認の多様性に関する企業言説を分析しています。あえて第Ⅲ章と同じデータセットの、特に自由記述欄を対象に、言説の批判的な検討を行っています。
筆者はこれらの言説を評価ができるか、もしくは何らかの問題を抱えているかという視点で分類します。一定の評価ができる、とされた分類には「積極的に当事者団体やコミュニティの意見を取り入れている」(本書:112)、「積極的統合」言説があります。それ以外の言説は「不十分」な言説として、5つに分類されます。すべてを網羅することはできませんが、これらの中には「未想定」(そもそもLGBTQの存在を想定していない)や「法令遵守」(法的遵守を強調するのみで無内容)、「包括的非言明」(「多様性の包摂」に言及しつつもLGBTQに対して言明しない)など、様々なパターンの、口では包摂や対応を謳いながらも実際には誤解や偏見に基づいていたり、特に具体的な行動に繋がらない「不十分」な言説が指摘されています。
また、「積極的統合」言説が企業にとってゴールのように描かれることに関しても、著者は警鐘を鳴らしています。なぜなら、「積極的統合」がすぐいあげる視点は、あらゆるLGBTQ当事者の声をすくい上げるとは言えないからです。顕著に代表されるのはただ一人と性愛関係を結ぶモノガミー的なパートナーシップや、男女二元論的な枠組みに適合的なトランスジェンダーです。これらの人々の部分的な包摂は、そこから「それ以外の非規範的な性を生きる(ことを望む)人々との間に新たな線引きがなされるだけである」と指摘しています(本書:115)。言い換えれば、「積極的統合」は、新たな「自然化」のための枠組みとして機能しかねない、ということです。
Ⅲ・Ⅳ章での分析を経て、著者はⅤ章においてこれらの分析を通じて明らかになったことと、その限界を提示します。このように二つの視点を対置させることで、多くの企業が「パフォーマンス志向」の前提のもとでLGBTQへの支援を打ち出していることがわかります。同時に、その中でも一部はパフォーマンス志向にも資さない、誤解や無回答で単にお茶を濁すような言説にとどまっており、故にパフォーマンス志向の視点から見ても改善すべき余地が多くあることもわかります。
一方で、大きな限界として、経営学という枠組みの中で分析を行うことで「反パフォーマンス志向」な立場を取る難しさが挙げられます。経営的な視点から考える性的指向や性自認を巡る権利擁護は、基本的には現状の経済的な構造を維持・発展させることが前提となっているため、パフォーマンスを犠牲・度外視したレベルの「クリティカル」な視点を維持することは難しい。また、著者は自身の視点をマイノリティを代表するものとして捉えることの危うさについても言及しています。真に「クリティカル」であるためにはより多くの非主流的な視点を組み込んだ分析・批判を進めていくことが重要になるのです。
著者は本書の終わりで次のように結論づけます。「『マネジメント研究はクリティカルされたか』という問に対しては、常にクリティカルされえないものであるというさしあたりの回答を提示しておきたいと思う」(本書:141)。完全な視点は持てない以上、どこまで「クリティカル」できたかを意識しつつ、まだ俎上に上がっていない地平に向かって目を凝らし続ける(しかしそれでも「クリティカルされえない」ものが残ることを理解する)ことの重要性が、本書に通底するものであった、ということだと理解しています。
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日本におけるDE&Iの動向を捉えた著作、および「クリティカル・マネジメント研究(CMS)」の入門書として、本書から学ぶところは多いです。CMSの動向に関しては、本書の第Ⅱ章ほど日本語で包括的なまとめを読める場所は少ないため、そのために本書を一読する価値はあるかもしれません。
また、二つの視点で同じデータを分析するという手法は、2つの視点の差異がどこに見出されるのかが明確に示されるため、「クリティカルする」ことはどういうことなのかを体感的に理解する稀有な体験が可能であるという点でも優れています。
本書を読み進めると、著者が「揺さぶり」ながらも自身も「揺さぶられている」ことが伝わってきます。CMSの視点は、常に「誰が、どのように語るのか」を問い続ける姿勢ということができます。これは既存の主流的視点を問い直すうえで有用なものですが、主流派の視点がある一点(今回であれば「生産性」という題目の元)に収斂していくのに対して、非主流的な視点は多様であり、様々な属性が複雑に絡み合うことで生み出され続けます。CMSを真摯に行えば、自ずとその書き手の立場が複数的な非主流的視点の一つに過ぎないことが浮き彫りになる。そのため、「揺さぶる」主体は常に「揺さぶられる」ことになる。その意味で、常に自身の置かれた場所を捉えかえし、留保を続ける著者の姿勢は、正しく「クリティカル」なものであると思われます。
そしてその視点を徹底すれば、本書を読む我々読者もまた、「クリティカル」される(もとい、「クリティカル」する)対象であることに気づかされます。この気づきこそが、本書の読み手にとって最も重要であると思います。そもそも「不十分」な言説が生まれる背景には、ある種の無自覚さがあるように思われます。この企業にはLGBTQなどいないだろう、LGBTQが求めているのはきっとこういう寄り添いなんだろう、これくらいの対応をしておけば消費者も納得するだろう……そのような、言葉になる以前の思いによって、言説を「クリティカル」するに至らない。では、そこに対する処方箋は、自身の無自覚さ(の、少なくとも可能性)に気づき、自らに「クリティカル」の視線を向けることでしかありえないのではないか、と。
著者自身も留保付きで繰り返し語っているように、本当に「内側から」批判することは可能なのか、すなわち、「経営学」であることを捨てずに「クリティカル」であることは可能なのか、という問いは常に念頭に置く必要があります。「生産性をいかに向上させるか」という経営学の根本的な問いと、批判的視点をどのように両立させるのかは、本書を通じても答えは提示されていません。それは、必ずしも経営学の内部からは生まれ得ないかもしれず、その意味でディシプリン横断的に「生産性」によって毀損される(LGBTQの、そしてその他被差別的属性を持つ多くの人々の)権利に批判的な視線を向け続ける必要があると言えるでしょう。
このように、本書は読者に多くの問いを投げかけ、DE&Iや経営学について深く考えさせる機会を提供しています。それゆえ、本書は単なる入門書を超えて、読者自身の思考を刺激し、新たな視点を提供する貴重な一冊といえるでしょう。
(文責:柴田惇朗)